人生常に下り坂

人生常に下り坂(これからは上り坂にしよう)

ネガティブ思考をは一体どこからやってくるのでしょうか。日頃感じていた疑問を書いています。

うつとか毒親とかアダルトチルドレンが社会病であるのならそれって人の手で根絶できるってことよね?

 

はじめに

 毒親アダルトチルドレンうつ病に苦しんでいる人は多くいます。今やこれは社会病とも言われ、現代病とも言えるでしょう。平成はどんな時代だった?平成はストレス社会だったと言われることは当然です。それほどまでに現代はそういう時代です。

 

社会病の蔓延

 しかし、社会病と言われていることからもわかるようにそれは社会病でしかありません。言わば、社会病ということは社会という空気がそうであるから人をそうさせているのであり、「環境」病でもあるということです。つまり、本人の意思はそこになく、外部的な触れることのできない環境というものに毒されているからそうなっているということです。まさに社会をうごめくどんよりとした空気感はいつぞやの光化学スモッグが大気中に漂っていた時代と言えるでしょう。それは目に見えないとは言え、確かにそこに人をそうさせてしまっているものとして存在しています。毒親なるものは社会のストレスが生み出しています。アダルトチルドレンなるものはストレスに害された親に毒された子供です。そして、ストレスに害された親も、それに毒された子供も社会的ストレスという空気を大量に吸ってしまうことでうつ病となります。人を毒してしまう抑圧的な空気感が人をうつにさせていくわけです。

 

社会病は社会病でしかない

 ただ、それは社会病でしかありません。過去の光化学スモッグは今や過去のものです。言わば、人の手で生み出してしまった毒は人の手で消し去ることもまた可能というわけです。人は環境という自然というもののために、あらゆることをしてきました。エコカーやリサイクル、バイオエネルギーのように人の生活を間接的に悪化させてしまう自然を守ってきました。では、次はなにか?当然、「人」です。いくら自然を守ったところで、その自然を守る人が先にいなくなってしまえば本末転倒です。光化学スモッグは本人の意思に関係なく吸ってしまいます。その原因は人によるものです。それを失くせば光化学スモッグもなくなります。つまり、人を抑圧しているストレスにもまたそれを排出している工場のような原因があり、それを作ってしまっているのもまた人であるということです。だからこそ、そうであるのなら人が作ったもののせいで人を苦しめているのであれば、それを失くすこともまた人で行わなければなりません。社会病とは環境病とはすなわり時代的なものではなく、人為的なものでしかないということです。それを社会病のように人が触れることのできないものであるかのようにすることがそもそもの間違いであり、私達がこの社会病について考えるのであれば必然的に迅速に解決できることでしょう。少子化毒親アダルトチルドレンもうつも全て繋がっているわけです。ただそれには前後関係があり、アダルトチルドレンがいるのならそれをそうさせた親や外部環境があるわけで、そしてその親をそうさせた社会的環境もまた存在するというわけです。これは決してネガティブなものではありません。原因を考える思考は私達が幸せになるためには必須のことです。

 

社会病に本人の意思はない。なら?

 先程も言ったように社会病は環境病でもあり、そこに毒される人の意思はないわけです。意思がそこになく、それが環境によるものであるということなら、それに毒された人は環境に毒されているだけにすぎず、本人の意思によって行動はしていません(できていないと言った方が正しい)。すなわち、社会病に毒された人々は毒されてしまっていたわけで本人が自身を責める必要は全くないということです。ということであれば、吸ってしまっている毒を失くせば解毒されるわけでもあり、やはり解毒のために原因を考えなければならないわけです。患者の診断をせずにその病気が治せるのでしょうか。ストレスを抱えている人を診断せずして、当人の声を聞かずして社会病の原因を突き詰めることはできるのでしょうか。それは不可能です。どこか社会病を当人の責任にしているような雰囲気が存在しています。それに対する正しい知識が足りないような気がします。それを正しい知識として広めることができないくらいに、人と人の会話が減ってしまっているようにも見えます。昨今ではSNSの発達により、簡易に情報を発信することができます。ですが、それと同時に情報の不確実性や信憑性も低くなってしまっており、ある意味でそれが原因で本来知られるべきことも眉唾もののようにされているのではないでしょうか。ということからもはやり、現代の私達には直接の意思疎通が必要であり、社会病を生み出してしまう人もまた変えていかなければなりません。

 

おわりに

 私達はあまりにも相手を想像と先入観で決めつけてしまっています。それはインターネットやテレビやSNSのような相手が見えないツールによって一見意思疎通ができてしまっているように見えるからです。文章だけで相手の顔も表情も声も考え方も全ては判断できません。直接の会話ですら難しいこともあります。だからこそ、余計に文章だけでその人を測ってしまうのは浅はかではありませんか?確かに、今書いているこれもまた一種のそれではありますが、会話はできないでしょうか。話し合いませんか?