人生常に下り坂

人生常に下り坂(これからは上り坂にしよう)

アダルトチルドレンかHSPな性格です。ネガティブな内容が多いので気分を害するかもしれません。そろそろポジティブに切り替えていく努力をします。

アダルトチルドレンは言い訳であり、言い訳ではない

 

はじめに:私はアダルトチルドレンです

 最近は私は自分をアダルトチルドレンとして設定してきました。ですが、考えていくとやはり言い訳なのではないかと思うことがあります。ですが、実際に私の状況はアダルトチルドレンと言えてしまうもの。そして、私の考え方では親の影響を受けていることはもはや回避することはできないものという結論ものです。ただ、この2つの感覚に矛盾していることに気づきました。そしてアダルトチルドレンは言い訳であり、言い訳でないことにも気づきました。今回はそれがどういうことかを説明したいと思います。

 

どれも同じなのではないか

 これは今のところの暫定的な考え方なのですが、私は毒親アダルトチルドレンHSPやパーソナリティ障害は全て同じものだと考えています。まず、毒親に関して言えば、私を作っているものは親だ」ということと「だから私はこんなにも生きづらいんだ」というネガティブな感情が重なったときに、「親」に対して焦点を置くことが「毒親」という言葉だと思います。次にアダルトチルドレンですが、アダルトチルドレンは言わば「私の性格を作ったものは親である」だから「私はこんな性格で生きづらいんだ」だが「アダルトチルドレンは克服できる」というように、自分を作った親がいるという前提で自分に焦点をおいたのがアダルトチルドレンです。次にHSPですが、これはアダルトチルドレンにおける「私の性格を作ったのは親だ」を失くせばいいだけです。言わば、人の視線に敏感なのも、感情の起伏が大きいのも、周りの刺激に敏感なのも、考えすぎるのもすべて私の性格でありこれは自分としての武器でもあるという風に自分「だけ」に焦点をおいたのがHSPです。次にパーソナリティ障害ですが、これは以前にも記事で書いたのですが、当人が障害と感じているのか、その周りの人がその人に対して障害を感じているのかの違いで変わってきます。仮に、当人が他人に対して障害を感じるのであればそれは自分に対して焦点をあてており、HSPとは違いそれを障害だと感じているのでパーソナリティ障害となっているということです。

 同じだが順序がある

 言わば、毒親アダルトチルドレンHSPもパーソナリティ障害もただ焦点を当てる部分が異なるだけで根源的なものは同じということになります。ですが、ここにおいて必要なことがあります。というのも、それらは焦点を当てる部分が異なるだけのものではあるが、それらのどれを選び取るかによって自分の立ち位置が変わるので生きづらさにも影響してくるというものです。生きづらさ順に並べると毒親アダルトチルドレン>パーソナリティ障害>HSPです。というのも、ここにおいて「言い訳(もしくは依存)をおいてしまう度合い」が異なるからです。言わば、毒親であれば親に対する憎しみと復讐心があるために、自分の道を生きるということを結局親に対して憎しみを持つことで自分が生きる意味や目的を親に縛られているからという依存したものになるからです。次のアダルトチルドレンは言わば、親から自分に焦点を移動させており、親を言い訳にしつつも自分も変わろうとしている段階です。親の過失を100%にした状態が毒親であるのなら、アダルトチルドレンは親:自分=3:7くらいにした状態であると言えます。もちろん毒親からのアダルトチルドレンは段階的であるので、もしかしたら毒親より後ろの順序は人によりまちまちであるのかもしれません。次にパーソナリティ障害ですが、これは自分に焦点を当てることができているが、それを自分の武器として認識することができずに障害となってしまっている状態です。パーソナリティ障害にも多くの種類があるので武器になるものもあるかもしれませんが、障害としてしまっている点ではある意味で自分に言い訳をしていると言っても良い?かもしれません。とは言え、それを変えたい意識がある以上は言い訳ではないので、当人が障害と感じておりそれを変えようとするのであれば良いことであるということでしょう。次にHSPですが、これは言うまでもなく自分の性格は敏感だからどうしようもないし、それなら長所として扱ったほうが良いのでは?という感覚での言葉だと思います。HSPは敏感であることと障害と思っていない人が使うものであり、障害と思っていないということはそれを自分の性格だと肯定しているからこそ、ポジティブに捉えているということになるでしょう。

 

どれも当人には辛いもの

 とは言え、これらはどれも生きづらいことに変わりはありません。勝手に順番を付けましたが、後ろだからと言って楽とかしんどくないということを言いたいわけではありません。毒親を言い訳と言ってしまうのも、自分でも微妙だと思っています。というよりも言い訳という言葉が適していなのかもしれません。毒親という存在はやはり経験がない限りかなりしんどいものではあります。しかもその状態のときに言い訳だと言われると「お前に何がわかるんだ」ということもわかります。ですが、それは言い訳していると言いたいのではなく、ただ上記の4つの言葉を並べたときにはそういう順序で生きづらさがあるのではないかということを言いたかっただけです。毒親というものから脱却できればアダルトチルドレンになり、それも脱却でき自分の性格を肯定できるくらいのHSPくらいになれば始めに比べるとマシになるのではないかということです。言わば、毒親アダルトチルドレン→パーソナリティ障害→HSPHSPとすらも思わない状態、という流れで解毒されていくということです。何事にも段階を踏まなければいきなり毒親からHSPになれと言われても、毒親でもあってアダルトチルドレンでもあってHSPでもあってパーソナリティ障害でわけがわからないとなるよりは、それらに順序があった方が良いのではないでしょうか。これらは私の勝手な感覚なので信用は私自身も信用できませんが、なんとなくこんな感じがします。

 

おわりに:変わりたいよね

 結局は社会を変えるよりは自分を変える方が早いのかもしれません。変えると言うと難しく感じるので、克服すると言ったほうが良いのでしょうか。少なくとも、社会を変える前に自分が救われる道を探す方が早いかもしれません(と思いました)。自分が救われていないのに他人を救うことは難しいですからね(と思いました)。アダルトチルドレンは言い訳であり言い訳ではないというのは、少なくともその言葉を選び取っている時点で何か変わろうとしているからということです。もちろん毒親もその言葉に行き着いたということは何かを変えたい一心なので変えようとする心は同じなわけです。少なくとも、上記の順序で右に行けばいくほど、ネガティブな情報が消えていくので楽になっていくと思います。個人的な意見ですが、私にはこう見えます。