人生常に下り坂

「頑張っている姿を見せろ」という昭和な人

 

はじめに

 昭和の考え方を改めて実感いたしました。「頑張る」という言葉、聞こえが良いですよね。だって、頑張れば結果がでるって信じ込んでいるのですから。

 

頑張れば結果になったと思っているだけ

 昭和の人はなぜか「頑張る」=「結果がでる」と思い込んでいるようですが、違います。確かに、何に対しても頑張ることは重要です。結果を出すためには頑張らなければならないことも事実です。

 しかし、「頑張る」=「結果がでる」わけではありません。昭和の人はひとえに口を揃えて「頑張れ」と言い、結果がでなければ「頑張っていない」と言います。「頑張っている姿を見せろ」と言うが、やはり結果がでなければ頑張っていることになりません。そもそも「頑張れ」だけで結果が出せるのなら誰でもしてるわけで。頑張って結果が出てる人が、結果が出せるような方向に頑張っただけであって、同じことをしても結果が出た人もいれば出なかった人もいるわけで。言わば、「頑張る」だけでは良い結果にたどり着くわけがなく、良い結果にたどり着くには正しい方法で頑張らなければなりません。たとえば、野球選手になりたいにも関わらず、サッカーボールを蹴る練習ばかりしていては、一ミリも野球選手には辿り着けません。しかし、その人はサッカーボールを蹴ることで野球選手になれると思い込んでいたとしたら、いくらその人に「頑張れ」とか「努力」と言ったところで、間違った結果(「頑張れ」と言った人が望む結果)にはどう考えたってたどり着くはずがありません。たとえ、同じ方法で同じことをしたとしても人によって結果は様々です。学校教育を見ても、同じ場にいるはずなのに同じ結果にはなりません(学校以外の外的要因もありますが)。言わば、それと同じ場で同じ教育をして同じ結果にならないのは、同じではないからです。1,2,3人と同じ方法が通用したとして、4人目以降も同じ方法が通用するとは限りません。当たり前ですが。とは言え、それがわかっていないから昭和のような根性論を振りかざしてしまうわけです。

 

結果が出た人が偶然結果が出る方法だっただけ

 頑張ったことで結果が出る人というのは、賢いからとか頑張り屋だから結果がでたわけではなく。偶然、結果が出る方法で頑張っただけであって、頑張ったから結果がでたわけでは決してないということです。

 しかし、結果が出てしまった人というのは頑張ったから結果がでたと思ってしまい、それを他人にも強要するからパワハラになり、昭和の考え方になっていくわけです。確かに、正しい方法で頑張ったのだから賢いといえば賢いですが、なぜ自分がそうなったのかを考えられえいない以上賢いとは言えません。もし本当に賢いのであれば、自分がなぜ今の結果に辿り着けたのかを理解しており、それと同じような経験を教えたりアドバイスをすることこそが本当の賢いです。にも関わらず、ただただ罵詈雑言を吐いて、「頑張っている姿」を見せろという人は、それはただその人の自己満足で頑張る価値もなにもありません。

 

無駄な努力ほど無駄なものはない

 要は、頑張っている姿を見せろと言う人は自分の言葉で相手を支配している感覚に酔っているだけであって、その人が結果が出る人であればなおさらラッキーで自分のおかげにできるわけで、結果がでなければ相手のせいにできるから都合が良いわけです。なんせ、自分は何も教えなくて良いわけですからね。

 

おわりに

 日本人の美徳はただの支配欲なだけであり、無駄な努力を強要するから強要されたほうが結果が出ない場合心が荒み、うつになっていくわけです。だからいつまでも無駄なことばかり続けて一生前に何も進まないわけです。昭和な考え方をああだこうだと言ったところで、そういう時代に生きてきてしまったのだから可愛そうとしか言えませんが、昭和な考え方ほど現代の日本人っぽい気もしますが、どうなのでしょうか。