勉強はできるけど仕事はできない。
高学歴なのに仕事ができない。
勉強ができる能力と仕事ができる能力は違う。
こういった言葉を聞いたことがあると思います。
私はこの言葉を聞いたとき、何を当たり前のことを言っているのだろうかと逆に疑問に思いました。
「勉強」というのは、勉ことを強いるという意味です。言い換えると、興味があるわけでもないことを、強いてでもやろうとするということです。嫌なことを強いてでもやろうとする行為を続けることが勉強です。
果たして、興味がないことを強いててもできるようになったり、興味のない知識が増えた結果は賢いと言えるのでしょうか。答えはNoです。当たり前ですが、人間は興味のないことは知りたいと思いません。逆に、興味のあることは、とことん知り尽くそうとします。興味のあることをとことん知り尽くす行為を勉強とは呼びません。なんでもそうですが、興味がある人に興味がない人が勝つことはできません。興味がない人が苦痛に思うことが、興味のある人には全く苦痛でないからです。それだけで、知識の量や質が異なってきます。
これは以前に書いた、「賢いには2種類ある」にも繋がってきます。
しかし、世の中は勉強ができる人を賢いと呼んでしまいます。
私は、勉強ができる人を賢いとは思いません。むしろある意味、馬鹿なのだと思っています。馬鹿というのは、無駄なことをできる体力があるということです。勉強ができる人と思われている人の中に、毎日10時間勉強しているような人がいたと思います。これは賢いとは言えません。仕事をしているとわかると思いますが、同じ仕事をしていても早い人と遅い人がいます。要するに、効率の問題です。効率を考えるということは、物事の根本を理解して無駄を省いていくことが重要です。効率が悪いというのは、無駄なことまでやるということです。勉強には、自身が必要としていない知識まで全て覚えようとする無駄があります。それを馬鹿正直に10時間も勉強して教科書を片っ端から暗記するような行為は賢いと言えません。
私は自信がある人が嫌いです。なぜなら、自信がある人は肩書きにこだわり、勉強ができるということに取り憑かれているからです。そのため、仕事をしていても無駄なことが多く、話が通じず、言っている意味も筋が通っていません。自分は賢いという勘違いのせいで、変なことばっかり言って仕事を邪魔してきます。これは、量をこなしたり、暗記しているだけで、根本を理解してないからです。言葉を覚えるだけで賢くなるわけではありません。その言葉の意味、旁、語源、背景を調べて初めてその言葉を真意を理解できるからです。
仕事ができるというのは、根本を理解しているということです。また、仕事に興味があるとも言えます。なので、勉強ができる人がめんどくさがってしないことをするため、業務の知識がつき、正しい判断を下せるようになります。
なので、勉強ができることと仕事ができることは繋がるわけがないのです。
私は、自身が興味あることを勉強とは思いません。
ただ、興味があるから調べているだけです。
しかし、興味のない人からすると、それは勉強に映ります。
仕事を効率よく進めるために調べていると、「お、勉強してるやん」という人がいます。
仕事を効率よくするために調べることは、勉強ではないです。
だから仕事ができないんだなと思ってしまいます。