差別をするわけではないのですが、男と女というものは生きる上での生きやすさが違うのではないかと思いました。
というのも生きるための考え方、諦め方、生き抜き方、で言えば女性の方が圧倒的に賢いといるのではないでしょうか。言わば、種の存続であるために生きている。種を存続するための本能が無意識のうちに働いていると言えます。
それと比べ男性の存在意義は何かと言えば労働力であり、護衛であり、種を存続させるための道具です。言わば、燃料に過ぎません。消費するための道具であるということです。
確かに、種を存続するための装置である女性とそれを稼働させるための燃料である男性が合わさるからこそ種が存続できているので、そこから男も女も生の元に平等と言えるかもしれません。
しかし、女性はよりよい燃料を求めます。なぜなら種が存続しやすいように社会で優位に立てるような子孫を残すためです。そのためによりよい燃料が必要です。言い換えれば、燃料となる男はいくらでもいるが装置にあう燃料がいるかと言われればそうではないということです。そして装置に選ばれる燃料は狭き門。その上では男性に選択肢はなく種を存続させるためによりよい燃料を選んでいる装置である女性の方が種の存続という意味では賢いと言えます。
ということから、ある意味使い捨ての道具でしかない男性に生きている意味があるかどうかと言われると、「ない」と言えるかもしれません。だからこそ、うつ病に陥る人であったり考え込んでしまう人、哲学者などは男性が多いのかもしれません。
結局人間と動物を分けようが人間も動物でしかないとなるともはや元も子もないですが。本能的にという言葉が私は個人的に嫌いです。