何かをできるようになっても達成感を感じない方はいるでしょうか。
私は何かができるようになると、「つまんない」に変わります。やっている途中はどうすればできるようになるのかを考えているので良いのですが、それが終わった瞬間に「できた」という達成感でなく、「こんなんで良いのか?」と思ってしまいます。
仕事にしても何にしても、出来てしまった瞬間にそう感じてしまいます。仮にできるようになったとろろで、こんなん誰でもできるやろうしな、とか、まだ上には上がいるしな、と思ってしまいます。
「できた」という事実に対して、満足感を得られずむしろこの程度しか出来ないのかという劣等感とともに、まだ上には上がいるのかという焦燥感があります。
調べていると、どうやら幼少期に親に褒められた経験が少ないことで起こるようです。
この世には100%のものがありませんが、できたというレベルに達するというのは100%できるようになると言う意味ではなく、90%くらい出来るようになるということだと理解しています。
90%できたというのが目標達成としては十分なのに、残りの完璧でない10%に対して親から指摘されることで、これだけでは不十分なんだと考えてしまい、まだまだ頑張らなければならないんだと考えてしまうそうです。そのことで、失敗ばかりに意識してしまうそうです。
確かに、幼少期は褒められた経験がなく、10回中1回のミスを毎回しているかのように誇張してくる母親と、たった1回のミスで殴ってくる父親がいたように思います。
何かできるようになっても、褒められることなく「〜くん(〜ちゃん)はもっと〜やで」と他人と比較して劣等感を植え付けてくるというようなことをされました。
また、大人ができるならまだしも子供ができればすごいことを、「そんなん大人になったら当たり前やで」と大人になったらの話を子供にしてくるようなこともされました。
親が両方とも非常に幼稚で子供に対して子供のように張り合ってきます。
子供ができたことに対して「お母さんもできるで」と言ってみたり、「そんなん当たり前やで」と言ってたりしていました。
むしろ、逆に親を褒めてあげるというようなことをしていたような気がします。
よく、何をやっても長続きしなかったり、頑張れないことに対する対処方として、小さな目標を設定するというのがあります。しかし、上記のような理由により、目標を達成したところで、劣等感や焦燥感した抱けないので、できるようになったところで、ストレスばかりが溜まっていくということになります。
アダルトチルドレンや毒親育ちの人は自己啓発本を読むなと言われたりします。なぜなら、自己啓発は正常な家庭で育った人にしか意味がないからです。成功するまで続けるために発破をかけるために読むものが自己啓発本ですが、そもそも褒められた経験がない人がは成功したことよりも失敗ばかり気にしてしまうので、いくら小さな成功を重ねたところで成功したという感覚を持てないからのようです。
なので、そういった頑張れないことや続かないことに対する対処法を行ったところで、自分をさらに苦しめるだけというのが、結論のようです。
根拠のない自信ってやつなのでしょう。