人生常に下り坂

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こういうことを知って欲しいというよりも、同じことを思っている人が1人でもいればいいなと思い書いています。

過干渉毒親の子供は性格の性別が反転するのではないか

 

はじめに:性格の性別反転

 毒親育ちの方のブログを読んでいたり、自身の経験から察するに「過干渉型の毒親の子供は性別が反転するのではないか?」という疑問を抱きました。私は人と会話をしたり言っている内容からその人がどれだけ自分と他人が異なっており、自分と他人とは経てきた経験が異なっているかを理解しているのかを重要視します。そこさえ理解していれば、他人を勝手な憶測で決めつけたり、否定したり、マウントを取ったりしないからです。中でも過干渉型の毒親育ちの方がやはり多いようで、共感する部分が多くあります。その上でどの方も私と他人は違うということを言っており、言わば今まで人からの評価や意見がイコールで自分の評価になっていたことに気づいたからこそ、そうなったのだと思います。と、この「気付き」においての「自分は自分、他人は他人」というところに性別の反転を感じました。

 

過干渉毒親育ちのブログの内容から読み取れること

 文章の内容を見ていると、男性であれば女性っぽく、女性であれば男性っぽいように見受けられるような気がしました。どういうことかと言うと、過干渉型毒母親に育てられた息子(男性)は母親という女性に育てられたために女性っぽくなる、言わば妬み嫉みっぽくなり、娘(女性)の場合は理論的になっているのではないかということです。確かに女性=妬み嫉みとか男性=理論的とするのは偏見かもしれませんが、根拠を示せないので申し訳ないですが、一般的に男性と女性はそういうものだと思っています。とは言え、妬み嫉みは私自身の性格がそういう部分があり、母親と非常に似ています。他人もそうであるかどうかはわかりませんが、マザコンにやはり息子が多いことからしても同性より異性の親の方に寄ってしまうのではないかと思っています(マザコンと言ったのは異性の親の方と仲良くなるという意味で、尊敬していたり好きだからという意味ではないです、ただ息子であれば母親、娘であれば父親に寄るということです)。娘であれば、同族嫌悪によって母親嫌いから父親がマシに見えるために比較できないですが、父親よりになるのではないかと思っています。

まとめ

 まとめると、過干渉型毒母親に育てられた息子は「見た目は男、性格は女、心は男」になり娘は「見た目は女、性格は男、心は女」になるのではないだろうかということです。毒親系のブログでは女性の方が多いのですが、やはりどのブログを読んでいたとしても男性的な論理的な内容が多いような気がしました。それはやはりどうしても毒母親に嫌悪しているからこそ、同族の女性も嫌悪しているのではないかと思ったからです。仮に私の経験で言うなれば、私は話をする時に同情をしてほしくなります(女性がどうかはわかりませんが)。ですが、男性の友達は理論的?と言えばどうかわかりませんが、同情されることはまずゼロに等しいです。だからこそ、性格が男の男の友達に対して性格が女の男である私は男ではあるのだが、性格が女っぽいために男の友達に理解されないこともあり、共感されないのでしんどくなるということがあります。とは言え、全てが全てそうというわけでもなく、それが男性の性格で女性の性格であるとも言い切れないのですが、なんとなくそう思いました。

 

おわりに

 全て私の経験であり、推測であり、たかが数十年の中での途中経過であるので完全にそうだと言い切れませんが、そう思ったので書いてみました。これを書いたところで一体何がわかるのか?ということですが、性別が反転しているからこそ本来あるべき方の性別通りの性格であれば、生きづらさや理解されなさや劣等感や周りに対して申し訳無さもなくなるのではないかとも思いました。論理的なところを道理的に考えたり、はたまた反対に考えてしまうと苦しくなります。論理的な部分は論理的に、道理的な部分は道理的に。感情的な部分は感情的にと。そうすれば思っていることと行動が逆になったりすることはなくなるのではないかなと思いました(私がそうなので)。