人生常に下り坂

人生常に下り坂

こういうことを知って欲しいというよりも、同じことを思っている人が1人でもいればいいなと思い書いています。

聞かなければわからないことに対して自分で調べろと言われても無理です

 

はじめに

 以前にも同じような内容のブログを書いたのですが、「聞かなければわからないことに対して、自分で調べてわかるようになれ」と言ってくる人がいます。どこに行けども同じような人がいる上に、本人がそれをあたかも当たり前のように言ってくるので摩訶不思議です。毎度説明しにくいことばかり言っていますが、今回も説明しにくいのでどうか伝わってください(文章力不足です)

 

知らんから教えてくれないと

 時々勘違いしている人がいるようですが、「教えていないからわからない」と「教えたのにわかるつもりがないからわからない」を一緒にしていることがあります。前者に関して言えば、教えていない人に責任がありますし、後者に関して言えば教えてもらう側に責任があります。明らかに立ち位置が違います。例えば、見たことも聞いたこともないスポーツをいきなり「やれ」と言われても無理ですよね(ここでの「無理」という意味は「やれ」と言ってきた人が思い描いている通りに動くことは無理ということです)。反対に、教えてもらったけど面倒くさいからちゃんと聞いてなかったとかであれば自分が悪いと思うのは当然だと思います。

 ですが、なぜか何も知らない人に対して「え?わからないの?当たり前じゃん」と言ったり、見たことも聞いたこともないスポーツのルールはその人から聞くしか方法がないのに「それは自分で調べるのも練習のうち」と言う人がいます。確かに、今となってはどこでもインターネットで調べることができます。わからないと思ってもキーワード1つであらゆる情報がヒットします。わかろうと思えばどうにかしてでも調べることができるかもしれません。

しかし、当然ですがそれは非効率でありほとんど不可能に近いものです。中身が空っぽの財布から持ち主を探しているようなものだと思います。身分証もない、現金も入っていない、ただ「財布」というキーワードだけ持っていても個人の力では調べようがありません。出来たとしても単純に無駄な時間がかかります。だからこそ、わかりそうな人やそれに詳しい人からそれに関する知識を教えてもらうことでそれがどのようなものなのかを理解し、答えに近づいていくものだと思います。

 話は戻りますが、言わば仕事のように時間が限られている中で教わらなければならない上に自分の仕事もあり、なおかつ納期までに正しいものを提出しなければならないとなるとなおさら「教える」⇔「教わる」というものを正確に迅速にしなればなりません。もちろん教わる側が努力することは必然ですし、いつでも他人の時間を割いて教えてもらうわけにはいけません。が、見たことも聞いたこともないスポーツのようにその会社(学校)の独自のルールに関しては教えてもらわなければ他にわかりようがありません。にも関わらず、それすらも「自分で調べて」という人がいます。独自のルールではなく、社会常識であれば自分で調べることができますが、一体どうやって独自ルールをその場所以外から調べることができるのだろうかと常々疑問に思います。世界中誰に聞いたところで目の前の人しか知らないのに。なんだか「お名前は?」と聞いて「それは自分で調べてください」と返されたような感覚です。これは相手も忙しいことは理解していますが、一言言えば済むものをあえて遠回しにさっさと言わないのがさっぱり理解できません。おそらくですが、彼らの思考として「こいつはなんでもかんでも聞いて楽をしようとしている」と思っているのだと思います。端からそう決めつけているからこそ、本来教えなければならないことまでも自分で調べさせようとして結果相手を混乱させるということになるのだと思います。

 

教え方が下手

 兎にも角にも、根本として教え方が下手です。というよりも、自分たちがどう教えられてきたのかを理解していないのだと思います。教え方が下手な人に共通するものとして、「俺/私は誰にも教えてもらっていない」と必ず言います。そんなわけがないのに。誰にも教えてもらっていないと思っているレベルでやらされていたのだと思いますが、言わば「やらされている間にできるようになっていたこと」を「誰にも教わっていない」と勝手に思い込んでいます。だからこそ、彼らはやっていればできるようになると思っており。一体何をやればできるようになるのかまでは考えていません。だからこそ、教えてもらわなければ知るよしもないようなことに対しても「それを勉強してください」というわけのわからないお説教のような励ましのようなものを当たり前のように言えるわけです。これはだいたい学校でもそうですが、文章の書き方を教えてくれもしないのに作文を書かされたり、歌い方を教えてくれないのに歌のテストがあったりと、やり方やヒントを与えることをせずただそれを試すようなことばかりさせます。だからこそ、大人になってもどうやればそうなるのかを考えないために、教えるのが下手になるわけです。仮に、どうすればできるようになるのかを学んでいれば根性論のような精神的な言葉は出てこないはずです。言わば、どうやればかを考えていないから「いいから、やれ」のような投げやりな言葉になるわけです。

 

おわりに

 どこへ行っても毎回同じ人がいるのが不思議でなりませんが、なぜ俺/私の常識イコール世界の常識だと思っているのでしょうか。あと、教えたらすぐ終わるのになぜいちいち教えないのでしょうか。教えないくせにその人が失敗したら怒るというのはなぜでしょうか。不思議でなりません。