最近の私は数ヶ月前の自分と比べてもかなりメンタルが回復しました。戻った?と言ったほうが良いのかもしれませんが、それよりも良くなっていると思います。今回は改めてメンタルが回復したと思える前のことについて振り返ってみました。するとやはり、「あ、自分ってやっぱりうつ気味だったんだな。」ということに気づきました。うつ気味のときはうつっぽいなとは思っていましたが、これほど変わるのかと自分で驚いています。
メンタル回復前と後
食欲
メンタル回復前と後で何が最も変わったかというと、食事の量と食欲です。うつ気味のときには食欲がなく、食べようとすら思いませんでした。しかも体も動かないのでエネルギーを消費しないため、余計に食べる量が減っていました。体もそれほどひどくはないにせよ、体重は減少し明らかに元気そうには見えなくなっていました。お腹が空いても間食をする気分でもなく、間食すら美味しくないという状態です。よくうつになると味がしなくなると言いますが、私の場合は味がしないというよりは美味しいと思わないでした(うつ気味というだけでうつではないと思います)。だからこそ、メンタルが回復した今となればやはりあのときはおかしかったなと思えます。
日に当たるのが億劫
外に出たい!とまでは思わないが、外に出て日光を浴びたほうが元気になるということもわかりました。ですが、これに限っては「日光を浴びた」だから「元気になった」というより、「元気になってきた」からこそ「日光を浴びたくなってきた」という方が正しいかもしれません。うつ気味のときに日光を浴びても只々鬱陶しいだけでしかなく、むしろ日が昇るということに恐怖すらもあったので日光を浴びれば元気になるというのはうつっぽい人には逆効果なのかもしれません。というより、少しでも元気になってからの方が良いかもしれません。
人と会話することが億劫
以前と比べると自分に対してネガティブな言葉がある時に少しは跳ね除けることができるようになったと思います。人と会話することが億劫というのも、人はみんな違うからこそ絶対に理解し合うことはできないと考えていました。ですが、これはただ「理解し合うことはできない」で終わっていただけにすぎないということがわかりました。言わば、人はみんな違うから理解し合うことは難しいかもしれないが、会話しなければ何も始まらないし、話が通じずに自己嫌悪に陥りそうだと思ったらそうなる前に話さないという選択を取ることができることに気づきました。以前であれば、万人に対して理解されなければ意味がないと考えていました。ですが、この世は多種多様な人が生きており全ての人が全く同じ人生や経験をすることはありえません。だからこそ、相手につ伝わらないことはある意味で仕方のないことであり、それに対して理解させようとするのは自分の労力だけがすり減っていくということです。言わば、「選択」できるわけであり、言葉を選ばずに言うなれば「自分にとってプラスになる人と会話するようにしたら良い」という結論にいたしました。もちろん、誰の意見も聞き入れるべきであり、話すべきではあります。ですが、私は誰でも受け入れてしまっていて、そのせいで自分が潰れてしまっていたので、そうすることである程度人との距離感を保てるようになりました。
メンタルが回復してから気づくこともある
うつ気味のときはうつっぽいな〜と思いながら生きていました。とは言え、自分の行動のどこがうつっぽいかと言われるとこれがうつっぽいと言えるような部分もあったようななかったような気がします。しかし、回復後にはあれがうつっぽかったのかなと思えることがありました。美味しいと思えるか思えないかの違いがこんなにもわかるのかというくらいご飯が美味しく感じるようになりました。カーテンを開けたくなかったのが、開けないとさっぱりしなくなりました。人と会話するのが億劫だったのも、自分を否定しない人を選んで相談することで、自分を否定してくる人だけではないということに気が付きました。やはり、考え方が固まってしまっていると見える景色もまた片面からしか見えないということなのでしょう。とは言え、それを変えるのもまた自分の力でしなかく、自分で変えられることがわかったのもまた学びとして得られたのはうつ気味になってよかったことかもしれません。
おわりに
正直、書いていることは当たり前のことでしかないと思います。ですが、実は当たり前と思えるまでの過程が重要だったりするという気付きもあったことはかなり良かったと思います。これが幼少期にできていればよかったのですが、そうしなかった以上、今からでも自分で変えていかなければなりません。